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また、メトロ副都心線及び有楽町線には千川駅、練馬区には千川通り、小石川付近にも千川通りが走っていますが、これらはすべて江戸時代に作られたこの千川上水に由来したものです。交差点名の掘割も、この千川上水の堀割が元になっているようです。

(練馬区のサイトより)
千川上水(せんかわじょうすい)は、玉川上水を水源とし、境橋(現在の東京都西東京市新町と武蔵野市桜堤との境界付近)から江戸城の城北地域へ流れた総延長約22kmの用水路(上水)である。
現在は使用されておらず、大部分が暗渠化されているが、東京都の清流復活事業により一部区間には高度処理下水を流し、水辺が復活している。
巣鴨に達した上水の水は、地中に埋められた木樋により、前述の5か所をはじめ、江戸の本郷、湯島、外神田、下谷、浅草などに飲料水として供給された。寛永寺への給水は、途中で谷田川の流れる谷を越える必要があり、密閉された樋による「サイフォンの原理」の応用で一度水を谷底まで落とし、掛樋で谷田川を渡し、寛永寺のある対岸の台地上へポンプなしで上げることができたとされる。
1970年(昭和45年)には東京都水道局板橋浄水場が上水からの取水を止め、1971年(昭和46年)には大蔵省印刷局抄紙部への給水が止み、ここに千川上水は上水としての使命を終えた。
(Wikipediaより)
Wikipedia:千川上水
http://ja.wikipedia.org/wiki/千川上水